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467件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2020-12-01 第203回国会 参議院 財政金融委員会 第4号

国務大臣麻生太郎君) これはもう上田先生御指摘のとおりでして、今言われたようなものはやっぱり、そうですね、一九八九年の十二月に株価が三万八千九百十五円付けて、翌一九九〇年代から次第に落ち始め、赤字公債の再発行を始めたのが九二年、そして、御存じのようにアジア通貨危機が九七年で、北海道拓殖銀行倒産三洋証券山一証券倒産、翌年には、そうですね、長期信用銀行なんてのも倒産して、ばたばた金融というものが

麻生太郎

2020-11-24 第203回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号

三洋証券山一証券、でかいところで北海道拓殖銀行これは全部、九七年、九八年に倒産ということになっていって、この中で昔の名前で出ていますなんて銀行三井住友東京三菱ぐらいです。あとは、興銀やら第一、富士やら何やら、みんな合併やら何やらしていますので、今はもう、興銀は今何ていうのと言われてすぐ名前が出る方が珍しいんじゃないか。

麻生太郎

2020-06-12 第201回国会 参議院 財政金融委員会 第16号

国務大臣麻生太郎君) これはもう勝部先生がおっしゃるとおりなんですけれども、このコロナの話というのは、私、十年前にそのリーマンのとき、たまたま総理していたんですけれども、あのときも、そうですね、その前の九七年に長銀が潰れる、山一三洋証券いずれも潰れる、債券信用銀行北海道拓殖銀行ばたばた倒れたというときの騒ぎより大きいですからね、今回の方の影響の方は。

麻生太郎

2020-06-11 第201回国会 参議院 予算委員会 第21号

ということになっておりましたので、私どもとしては、銀行はその前の段階から、住専の話とか九七年のアジア通貨危機とか、いろんな形で金融関係というものはこの十、二十年間ぐらいの間でかなりいろんな意味でぎくしゃくしている時代、そこにもう一つリーマンというのが来たものですから、いろんな事態が起きて、まあそれまでにも随分、銀行がいろいろ統合されていったり、なくなってみたり、九七年のときは銀行長銀を始め随分倒産もしておりますから、北海道拓殖銀行倒産等

麻生太郎

2020-03-19 第201回国会 参議院 総務委員会 第6号

それと、一九九七年、八年ぐらいでまた谷がありますけれども、これはアジア通貨危機山一証券とか北海道拓殖銀行が潰れたりしたときの状況。それと、二〇〇一年はもう御存じのとおり九・一一同時多発テロプラスITバブル崩壊。それと、二〇〇八年、九年はもうリーマン・ショックだというふうに分かりますけれども、この右側の方は、これ民間でもこれだけ難しいんですけれども、内閣府の調査は更にこれずれています。

江崎孝

2020-01-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第3号

麻生国務大臣 御記憶かと思いますけれども、これは金融庁が発足した当時のことから思い出してもらわないかぬのですけれども、あのときは、銀行内容に多々問題があって、徹底して、金融というのは内容がやばい、不良資産がいろいろあるというのがわんわん出てきたときでして、そして、九七年に北海道拓殖銀行倒産山一証券三洋証券が続いて倒産、翌年、日本長期信用銀行倒産日本債券銀行倒産。  

麻生太郎

2019-12-03 第200回国会 参議院 財政金融委員会 第5号

私は北海道の出身でありますので、バブル崩壊後、北海道拓殖銀行破綻をしました。地域経済に非常に大きな影響を与えましたし、銀行倒産して職を失った方もたくさんいらっしゃいました。  このような流れの中で、今年の通常国会で審議され可決、成立した金融早期健全化改正法により今後の金融不安時における対応において資金面での影響が生じないのか、御説明をいただきたいと思います。

勝部賢志

2019-05-16 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第10号

まず、預金保険機構という、これ、一九七一年からある、金融危機の際に預金を守るために保険金を提供する機関で、今回のこの法案は、この預金保険機構内にある二つ口座、この二つ口座は、実は議員立法で九八年に、バブル崩壊後の山一証券北海道拓殖銀行、長銀破綻の際に議員立法でつくられた二つ口座、お財布があって、このお財布に関する法案であると理解しております。  

松川るい

2019-04-17 第198回国会 衆議院 財務金融委員会 第12号

三洋証券、これもやはり関連の三洋ファイナンス債務保証から破綻に至ったわけですけれども、北海道拓殖銀行、地銀の雄と言われた北海道拓殖銀行が、カブトデコムというところ、洞爺湖リゾート不良債権損失隠しのための飛ばし、これで破綻していくわけです。  そして、大変バブル崩壊の象徴とも言えるような山一証券、これも株価下落損失補填と飛ばし、こういうことで破綻して、本格化していくわけです。  

青山雅幸

2018-02-23 第196回国会 衆議院 財務金融委員会 第4号

この年は、御存じのように、アジアに限らず日本でも、都市銀行で、北海道拓殖銀行倒産山一倒産三洋証券倒産。明けて九八年、長銀倒産しましたし、それからもう一個ありました。不動産銀行ですかね、これがたしか倒産したんだと……(発言する者あり)ああ、債権信用銀行。ああいうのも倒産しましたし。  もうあのころから日本都市銀行でも、昔の名前で出ていますという銀行は幾つ残りましたかね。

麻生太郎

2018-02-14 第196回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号

ちょうど私、就職活動しましたのが平成十年、一九九八年で、その前年に、忘れもしませんけれども、山一証券北海道拓殖銀行次々倒産していって、内定取消しの憂き目に遭う先輩方の姿を間近に見て、本当に同世代の多くが非正規という形で社会に出ざるを得なくて、そこにいろんな施策が届いていなくて、引きこもりも今その世代が実は一番多いんじゃないかというような調査結果が出つつあります。  

吉川沙織

2017-11-30 第195回国会 参議院 予算委員会 第2号

今からちょうど二十年前の一九九七年十一月というのは、三洋証券山一証券、そして北海道拓殖銀行が潰れた大変な年だったと思うんですが、その九七年の名目GDPは幾らか、そして倒産ラッシュが終わってアベノミクスが成功されているとおっしゃる今のGDP、きっと大きく成長していると思うんですけれども、どのくらい、何倍になったのかを教えていただけますでしょうか。

藤巻健史

2017-04-11 第193回国会 参議院 財政金融委員会 第10号

も、九七年に就職活動しましたので、ちょうどこの金融ビッグバンのまさに議論がわっと沸騰しているときに金融市場の中に自分自身が飛び込んだ、大変いろんな記憶があるわけでありますが、あのときというのは、九六年の末に日本版金融ビッグバンの構想というのが打ち出されまして、いよいよ何か変わっていくのかなという期待感があったわけですが、その期待の前に、九七年にいわゆるアジア通貨危機というのが起きまして、例えば北海道拓殖銀行

平木大作

2017-03-01 第193回国会 参議院 予算委員会 第4号

まあ北海道拓殖銀行なんという都市銀行が潰れ、長銀が潰れ、日本債券信用銀行が潰れ、三洋証券が潰れ、山一が潰れて、もう軒並み潰れましたから、一九九七年、八年。えらい騒ぎになって、いわゆる取付け騒ぎが起きなかったのは、まだまだ、取付け騒ぎに似たようなものは起きましたけど、そういう騒ぎになっていった一連の状況の中から、我々はさらに、こういった状況は、間違いなく景気を良くするためにはGDPを増やさないかぬ。

麻生太郎

2016-11-17 第192回国会 参議院 財政金融委員会 第4号

一番悪いので、返すのがまともな話なんですけど、これみんなで返したらどうなるかというと、いわゆる経済用語で言う合成の誤謬というのが起きて、結果として、みんなで借金返したから、金を借りるやつがいないと商売の成り立たない金貸しという、まあ銀行とも言うんですけれども、金貸しという職業は完全に立ち行かなくなって、まずは住専なんかの話に始まった九五、六年ぐらいからどんどんおかしくなってきて、九七年に、最初北海道拓殖銀行

麻生太郎

2016-11-17 第192回国会 参議院 財政金融委員会 第4号

次の質問に行きますけれども、先ほど大臣がまた触れていらっしゃいましたけれども、九七年から九八年、確かに三洋証券が潰れ、北海道拓殖銀行が潰れ、山一証券が潰れ、大変な時期だったと思います。あのときの私の認識は、あれはやっぱり九七年のアジア通貨危機とそれにつながるロシア通貨危機ですよ、景気が悪かったの。  

藤巻健史